いちのやでは、光琳かるたを買取しております。
尾形光琳が描いた”幻の百人一首”と呼ばれている光琳かるた。近年まで資料でしか存在しなかった幻の百人一首がついに発見されると、その光琳かるたを京都の大石天狗堂が製品として復刻させました。その豪華絢爛な百人一首は、今でも人気のお品物です。
いちのやでは「金箔紙仕上げ」と「和紙仕上げ」どちらの光琳かるたも買取しております。
光琳かるたの売却をお考えでしたら、ぜひ「いちのや」までご相談ください。
光琳かるたとは、江戸時代に活躍した絵師である尾形光琳によって作られた百人一首です。
歴史的な資料の中に、かるたの下絵と見られる絵が見つかっていたものの、実物は見つからず、その存在の不確かさから”幻のかるた”と呼ばれていました。しかし、今から40年ほど前、京都の旧家から未使用の状態でついに発見されたのです。
光琳かるたの特徴としては、一般的な百人一首の札よりも大きく、上の句に描かれた歌仙絵は、金箔をふんだんに使用した豪華なもので、着物の柄や、横や後ろを向いた歌仙も描かれ、鑑賞用としての価値も十分に高い。
また、通常文字だけで構成される下の句の札には、その歌に合わせた花鳥風月が描かれています。
まさに豪華絢爛と呼ぶに相応しい百人一首で、当時は貴族の嫁入り道具とされていたそうです。
発見された京都の旧家の方から依頼を受け、大石天狗堂が光琳かるたを復刻することになりました。
札のサイズなど細部まで再現された光琳かるたは、「金箔紙仕上げ」と「和紙仕上げ」の2種類が発売されました。
金箔紙仕上げは、手作業で一枚ずつ金箔を貼った札に、シルクスクリーンで美しく仕上げられた絵柄が施されており、「法橋光琳」の銘が箔押しされた桐箱に収められています。
和紙仕上げは、光琳の描いた華麗な絵柄はそのままに和紙で仕上げたタイプで、金箔仕上げ同様に、解説書などと共に桐箱に収められています。
尾形光琳は、江戸時代中期に活躍した画家。後に「琳派」と呼ばれる画派の祖として知られています。
1658年、京都の呉服商の次男として生まれる。裕福な家に生まれたため金銭に困ることはなく、生来遊び人であったという。子供の頃から能楽や茶道、書道などの古典に触れ、弟の尾形乾山によると尾形光琳は「絵にこそ自分の天分がある」といつも言っていたそうです。
40代になり、家業の経営が傾き経済的困窮に陥ると、ようやく画業に身を入れ始め、その類まれなセンスと才能に恵まれ、多くのパトロンを持っていた。44歳になると法橋の位(仏教において高僧に与えられる称号)を得ており、そこからは積極的に「法橋光琳」と名乗り、落款の銘もこれにしていた。
尾形光琳は、後に「琳派」と呼ばれるような装飾的な大きな作品を数多く残し、日本における絵画や工芸などに多大な影響を与えています。大きな屏風画だけでなく、団扇や蒔絵、小袖の絵なども手掛けており、晩年は水墨画も残しています。
いちのやでは、光琳かるただけでなく、古い百人一首やかるた、掛軸などの骨董品など、幅広く買取しております。他にも売却するご予定のお品物がございましたら是非「いちのや」までご相談ください。
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